Nescience学
NOH JESU

なぜこの学問が生まれたのか。

6歳の問いから始まった、半世紀を超える探究。

Nescience学の出発点は、壮大な理論ではありません。

一人の少年が抱いた、素朴な問いでした。

01

「この光は、どこから生まれるのだろう」

6歳のある真夜中。

母と山道を歩いていたNoh Jesuは、暗闇を照らす懐中電灯の光を見ながら問いを抱きます。

この光は、どこから生まれるのだろう。

どのように走り、最後はどこへ消えていくのだろう。

その問いは、やがて太陽へと広がりました。

太陽の内では、何が、なぜ、どのように動いているのか。

そして人、動物、植物、石、水へ。

すべての存在の内では、何が動いているのか。

ここから、長い探究が始まりました。

02

問いは、「存在の内」から「存在そのもの」へ

宗教、哲学、科学。

武術や身体的な探究も含め、さまざまな方向から答えを求めました。

しかし、問いは次第に変わっていきます。

存在しているものの内で、何が動いているのか。

ではなく、

そもそも、なぜ「存在」が成立するのか。

なぜ、内と外が生まれるのか。

そして、問いはさらに深まり、

「今ここ、目の前の現実とは何なのか?」へ。

「存在するもの」を調べる問いから、存在や現実そのものが成立する条件を問う探究へと移っていきました。

03

1996年、福岡

韓国から福岡へ移住して約1年後の1996年3月。

深い絶望の中で探究を続けていたNoh Jesuは、後に「一元動き」と呼ぶことになる根源的な構造を捉えたとしています。

しかし、一人が何かを発見したというだけでは、学問にはなりません。

どうすれば、他の人にも説明できるのか。

どうすれば、再現可能な認識の道具にできるのか。

そこから、長い体系化が始まりました。

04

nTechから、Nescience学へ

約30年にわたる研究開発を通して形成されたのが、認識技術nTechです。

その中心に置かれたのは、

「今ここ観る認識行為」

でした。

何を観るのかだけではなく、

観る主体は、どのように成立するのか。

対象は、どのように成立するのか。

知る世界そのものは、どのように成立するのか。

その探究を、認識技術から学問体系へ展開したものが、現在のNescience学です。

05

個人の問いから、誰でも検討できる問いへ

Noh Jesuの探究は、

「目の前の現実は、内を観ているのか、外を観ているのか。」

という問いから、

「存在が動くのか、それとも動きが存在を成立させるのか。」

という問いへと深まりました。

さらにその探究は、「存在が動く」言語を底上げする、「動きが存在を成立させる」言語――心・エネルギー・物質の関係をつなぐ言語――の発明にまで到達しています。

しかし、Nescience学が学問であるなら、

Noh Jesuがそう考えたから正しい、では成立しません。

問われるのは、

その理論は説明できるのか。

論証を追えるのか。

批判できるのか。

第三者が検討できるのか。

Noh Jesuは、Nescience学の提唱者です。

しかし、理論の正しさを決めるのは、人物への信頼ではありません。

一人の少年が抱いた光への問いは、本当に、存在と現実、そしてそれを認識し表現する言語そのものを問い直す学問になり得るのか。

その問いも含めて、Nescience学の研究は続いています。