消えかけた言葉を、学問の名に。
Nescience(ネシエンス)は、ラテン語 nescientia(知らない状態)に由来し、1610年代に英語となった語です。ne-(〜ない)と scire(知る、物事を区別する)が組み合わさり、「知り得ない」を意味します。
scireは、Science(科学)の語源でもあります。Science が scire を肯定し、「区別し、体系化しうる知」を指すのに対し、Nescience は同じ scire を否定し、「区別することも、知ることもできない領域」を指します。
科学とネシエンスは、一つの根から分かれた対の言葉です。伝説の鳥「比翼鳥」——互いに一枚ずつの翼を持ち寄って、はじめて共に飛べるという鳥——のように、両者は本来、寄り添う関係にあります。
Oxford英語辞典の現代英語における Nescience の使用頻度です。文庫本およそ100冊に1回出会うかどうかという、辞書から消えかけている稀少な語です。
提唱者Noh Jesuは、長年にわたり構築してきたこの論理にふさわしい言葉として、この語源と稀少性に着目し、「Nescience学」と名づけました。
科学の対極、あるいはそれをも含む全体知——科学がまだ足を踏み入れられない領域を、そのまま学問名として掲げている。
知らない世界の三つと、まったく次元の異なる世界。
これまで「知らない世界」には、大きく三つありました。(02〜04)
もうすでに知っている・分かっている世界
今はまだ分からないけど、学べば分かる世界
問いはあるが、答えがあるのか分からない世界
「私はなぜ生まれたのか」など
問いもなく、答えもない
何を知らないのかも分からない世界
さらに外のスゴすぎる世界!
ネシエンスNescienceの世界
AIや知能がどれほど進化しても、絶対に到達できない領域として、Nescience学における理論命題として提示されています。
絶対に、永遠に知らない世界(=一元の動き)
※ 命題そのものが第三者検証の対象です。
01~03はすべて、未来には「知っている」に変わる可能性があります。
ネシエンスは違います。
どれほど人間知能やAI知能が発達しても、どれほどデータ・情報・知識が蓄積しても、永遠に知ることができない世界。(04、05)
それが、永遠に知ることが不可能な世界=ネシエンスです。
Nescience学では、実在するのはネシエンスHitotsuだけであると位置づけます。そして、「知る世界」はそれとは別に独立して実在するのではなく、ネシエンスの機能的分化によって成立する世界と捉えます。
ネシエンス世界と知る世界。
この二つの関係を、Nescience学では根源成立関係と定義します。
そして、根源成立関係を知ることを、目的知・完全知・尊厳知・絶対知への到達として位置づけます。
「人間とは何か」ではない。
人類は長く、「人間とは何か。」「自分とは何か。」を問い続けてきました。しかし、その問いはすでに、人間がいる、自分がいる、世界があることを前提にしています。
Nescience学は、その問題設定そのものを変えます。
Nescience学は、この問いをさらに手前へ遡り、そもそも、目の前の現実とは何か、を問います。
「世界がまず存在し、それを人間があとから認識する」——この当たり前とされてきた順序を、Nescience学は一度保留します。存在・認識・主体・対象は、そもそもどのようにして区別可能になるのか。何を知るかではなく、知る世界そのものがいかにして成り立つのか。ここに立ち返ることから、Nescience学は始まります。
従来の当たり前を疑い、存在・認識・主体・世界がいかにして成立するのかを、認識構造のレベルから探究する——それが、Nescience(ネシエンス)学です。
「人間とは何か」ではない。
「今ここ、目の前の現実とは何なのか?」
人間や自分を説明する前に、それらが存在すると認識している現実そのものを問います。
存在 → 運動という前提を、問い直す。
私たちは通常、まず存在があり、その存在が動くと考えます。存在 → 運動です。Nescience学は、その前提自体を問い直します。
「存在が動く」から、
「動きが存在を成立させる」へ。
ここでいう「動き」は、すでに存在する何かの運動ではありません。また、「動きの後に存在が生まれる」という時間的な順序でもありません。時間や空間そのものも、成立する側に含まれます。
問いは、
「存在するものは、どう動くのか」から、
「そもそも、存在するとは何なのか」へ。
すでに成立した存在同士の因果関係から、存在そのものが成立する根源成立関係へ。それは同時に、クローズな認識構造から、オープンな認識構造への転換でもあります。
ニーチェが「神は死んだ」と告げたように、Nescience学は、さらに根本から「存在は死んだ」と捉えます。
ここでいう「存在は死んだ」とは、存在が消滅するという意味ではありません。存在を、それ自体で独立して実在するものとして前提にする認識を終わらせるという意味です。
存在の成立を問うなら、その世界を知る人間の認識と言語も問い直さなければなりません。
Nescience学では、そのための認識・言語モデルとして1-5-1を提示します。
1-5-1とは、Nescience学が独自に提示する認識・言語モデルです。
一つが多様な関係へ展開し、新しい一つとして成立する構造を観る。
固定された存在だけを見るのではなく、存在や関係が成立する構造そのものを観る。それが1-5-1です。
知ることから自由になり、知ることを自由に使う。
Nescience学が目指すのは、知識を捨てることではありません。知ることから自由になり、知ることを自由に使う。その人間知性の転換を、5つの自由として整理します。
知っている世界からの自由
時空間からの自由
存在からの自由
言語からの自由
基準点・観点からの自由
ネシエンスHitotsuだけが実在することを知ることで、「知っている世界」に支配されなくなる。
だからこそ、知ることを否定するのではなく、知ることを自由に楽しみ、使うことができる。
Nescience学は、知ることで終わりません。
知ることを、行動へ。
行動を、創造へ。
創造を、社会へ。
そして、今ここBest Beingへ。
理論を知ることは、始まりにすぎません。
Nescience学は、知ることを行動・社会参加へつなげる「知行合一」を、もう一つの柱としています。