瓶の内で答えを探すのか、瓶そのものを問うのか。
そう問われた瞬間、私たちは考え始めます。どうやって鳥を出そう。でも、その時点ですでに、私たちは一つの前提に閉じ込められています。「鳥は、瓶の中にいる。」
どれだけ賢く答えを探しても、前提そのものを疑わなければ、思考はその内から出られません。
人類もまた、長いあいだ問い続けてきました。「人間とは何か。」「自分とは何か。」けれど、その問いは最初から、人間がいる。自分がいる。世界がある。ことを前提にしています。
だから、Nescience学は答えを変えるのではなく、問いを変えます。
「今ここ、目の前の現実とは何なのか?」
目の前の現実は、本当に実在しているのでしょうか。
錯覚なのか。
シミュレーションなのか。
それとも、認識構造によって現れている結果世界なのか。
人間、犬、AI。
認識構造が変われば、見える世界も変わる。
必要なのは、瓶の内で答えを探し続けることではありません。
瓶そのものを問うことです。
人類は、「知らない」を「知っている」に変えることで文明を発展させてきました。それでも、存在不安、存在孤独、うつ、自殺、殺人、戦争はなくなっていません。
Nescience学は、その根底に、人間が「知っている世界」から自由になれていないクローズな認識構造に問題があると捉えます。言い換えれば、人間の不幸の根本原因は、「知る世界」から自由になれないことにあるのです。
そしてAIによって、「知る世界」はこれまで以上の速度で拡大していきます。だから必要なのは、知識を増やす教育だけではありません。
知る世界から自由になる教育です。
そのためには、人間の認識構造とAIの認識構造に、どのような違いがあるのか。さらに、その二つの認識構造そのものが、どのように成立するのか。その仕組みまで説明できる、オープンな認識構造への転換が必要です。
ここから、完全学問への探究が始まります。
本当の問題は、AIの進化が、人間の変化を待ってくれないことです。
何年、何十年もかける教育では、AI文明の変化に間に合いません。必要なのは、「知る世界」から自由になる認識転換を、短時間で学び、認識・判断・行動の変化へつなげる教育とシステムです。
しかも、それを個人の学びで終わらせない。
教育が変わる。
経済が変わる。
政治が変わる。
文明が変わる。
教育・経済・政治を三位一体でつなぎ、社会へ実装していく新しいモデルが必要です。
個人の認識転換から、社会変革へ。
社会変革から、新文明創造へ。
その実践と社会展開を担うのが、Nescience学の知行合一・Engagementです。
AIは、もはや便利な道具の一つではありません。
文章をつくる。分析する。判断する。人と対話する。仕事を代行する。さらにロボットと結びつき、現実世界にも働きかける。
AIが変え始めているのは、仕事や生活だけではありません。
その前提そのものです。
Nescience学は、この変化を、AI革命から「AI文明」への転換として捉えます。そこで問われるのは、AIがどこまで進化するのかだけではありません。
誰が、何を問い、何を目的とし、何を基準にAIを使うのか。
AI文明は、技術の問題・倫理道徳の問題であると同時に、技術を方向づける人間の言語生態系の問題です。すなわち人間の情報ネットワーク、ネクサスの問題であり、人間の主体性の問題です。
「知らない」ではなく、「知ることができない」から始める。
人類は、「知らないこと」を「知っていること」へ変えることで、知の世界を広げてきました。
では、人間知能がどれほど発達しても、AI知能がどれほど発達しても、どれほどデータや情報・知識が増えても、絶対に、永遠に知ることができない世界があるとしたらどうでしょうか。しかも、その世界が、人間が知ることのできる世界より、はるかに大きいとしたら。
これまで人間が価値を置いてきたのは、「知る世界」でした。一方、「知らない世界」には、大きく三つあります。
勉強していないから、まだ知らない世界。
問いはあっても、客観的な答えを確定できず、答えを保留している世界。
何を知らないのかさえ知らない、まだ問いそのものが生まれていない無関心領域。
しかしNescience学がいう「ネシエンス世界」は、この三つとはまったく次元が異なります。
人間の知る能力そのものでは認識することができない世界。
人間知能でもAI知能でも、永遠に知ることが不可能な世界。
それを、ネシエンス世界と仮説します。
これまで人類が開発してきた学問は、「知る世界」の中に、さらに新しい「知る世界」を発見し続けてきました。点の中に点があり、その点の中にまた点があるように、知る世界の中に新しい知る世界が生まれ、それが永遠に続いていく。
だから、新しい学問は増え続けても、「知る世界」そのものを卒業することができない。そこに、これまで人類が開発してきた学問と教育の現在地があると、Nescience学は捉えます。
Nescience学が取り入れるのは、永遠に知ることが不可能なネシエンス世界と、人間が探究し続けてきた「知る世界」との関係性です。この二つの関係を捉えることによって、目的知・完全知・尊厳知・絶対知への到達を可能にする、まったく新しい学問としてNescience学を提示します。
そして、既存の個別学問が探究してきた「知る世界」に完全な終止符を打つことのできる完全学問として、この二つの関係を「根源成立関係」と定義します。
これまでの宗教・哲学・科学・イデオロギー・信念体系、そして多様な個別学問は、因果関係によって論理を展開してきました。それに対してNescience学は、本当に実在する関係は、根源成立関係だけであると捉えます。
すなわち、一元・ネシエンス世界Hitotsuだけが実在する。
それ以外の世界は、ネシエンスの機能的分化によって成立する「思い込みの世界」と規定します。ここから、
を探究します。
Nescience学は、「知る世界」の価値を否定するのではありません。知る世界そのものが成立する条件を問い直し、知る世界の意味と価値そのものを次元上昇させる完全学問です。
「存在が動く」から、「動きが存在を成立させる」へ。クローズな認識構造からオープンな認識構造へ大転換。
私たちは通常、まず「何かが存在する」と考え、その存在が動き、関係し、変化すると捉えます。Nescience学は、その前提自体を問い直します。
そもそも、「存在する」ということ自体は、どのように成立しているのでしょうか。存在を最初から前提にするのではなく、「存在する」という世界そのものが、どのように成立するのかを、根源的な動きから捉え直します。
ここでいう「動き」は、すでに存在するものの運動でも、「動きの後に存在が生まれる」という時間的な順序でもありません。時間や空間そのものも、成立する側に含まれます。
「存在するものは、どのように動くのか」から、
「そもそも、存在するとはどういうことなのか」へ。
この転換は、人間の認識と、それを形づくる言語そのものを問い直すことへつながります。
ニーチェが「神は死んだ」と告げたように、Nescience学は、さらに根本から「存在は死んだ」と捉えます。
固定された世界を知る知性から、成立そのものを観る知性へ。
私たちは、「私がいる」「相手がいる」「問題がある」「世界がある」という前提から、考え、判断しています。しかし、その世界を唯一の現実として固定すると、自分自身の見方や判断基準そのものを問い直すことが難しくなります。
その転換モデルが、SV言語生態系から、1-5-1言語生態系へ。1-5-1は、一つの全体が多様に分かれ、関係をつくり、新しい一つとして成立する構造を観る、Nescience学の認識・言語モデルです。
Nescience学では、この人間知性の方向性を「5つの自由」として整理しています。
知っている世界からの自由
時空間からの自由
存在からの自由
言語からの自由
基準点・観点からの自由
「知っている世界」に支配されず、知ることを自由に使う知性へ。
知るだけで終わらない。行動し、つくり、社会へ。
そして、今ここBest Beingへ。
知ることを、行動へ。
行動を、創造へ。
創造を、社会へ。
知ることと、生きることを切り離さない。それが、Nescience学の知行合一・Engagementです。
Education+Economyを融合した「Edunomicエンジン」による、新しい資本主義を提案しています。
AIを変えるだけではない。人間側の情報生態系を変える。
AIを生み出し、使い、方向づけるのは人間です。だから問われるのは、「AIをどう制御するのか」だけではありません。
人間自身が、どのような知性と言語を持ち、どのような情報を社会に生み出すのか。人間の認識と言語が変われば、AIが開発され、学び、使われる情報環境も変わっていきます。
目指すのは、人間がAIに勝つことでも、AIを支配することでもありません。
人間は主体性を開き、AIはAIの能力を生かす。
競争ではなく、共同進化へ。
Nescience学は、AIによる人間尊厳の危機、人間存亡の危機をAIで解決策を探すのではなく、人間そのものを次元上昇させる新しい人間知性・言語・教育・情報生態系を通して解決策を提案します。
近代教育は、人間を「社会の主人公」にした。
次に問われるのは、その主人公自身の認識構造です。その知識や能力を使う「私」は、どのような観点から世界を見ているのか。
Nescience学は、教育の対象を、知識や能力だけではなく、それを使う主体の認識構造そのものへ広げます。
クローズ認識構造から、オープン認識構造へ。
世界基軸教育は、世界中の人を一つの価値観に統一する教育ではありません。国籍、宗教、文化、思想、歴史の違いを持ったまま、自分の観方を絶対化せず、違いを敵対へ固定しない主体を育てる。
知識教育から、認識構造教育へ。
AI文明時代に、世界で共有できる新しい教育基盤を探究します。
完全学問は、宣言では成立しない。
Nescience学が問うのは、成立した研究対象だけではありません。その研究対象は、どのように研究対象として成立するのか。
「今ここ観る認識行為」を直接的研究対象とし、主体・対象・知る世界・研究対象が成立する構造を探究します。
そして、自らの理論を、既存学問との比較、第三者による批判・検証・修正へ開いていく。
人物への信頼から、理論への検証へ。
学問であるための、9つの条件。
「完全学問」という言葉は、既存の学術界で確立された標準カテゴリーではありません。したがってNescience学がこの言葉を用いるなら、何をもって完全学問と呼ぶのかを、自ら厳密に定義しなければなりません。少なくとも、次の9条件を満たす必要があります。
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9条件を満たしてはじめて、Nescience学は特定の文化や信仰に依存しない基盤たり得ます。条件を先に公開しているのは、達成を主張するためではなく、達成されているかどうかを外部が判定できるようにするためです。
理論の構築から、完全学問化の検証へ。
Nescience学は、すでに「完成した完全学問である」と宣言しているわけではありません。完全学問と呼びうる客観条件を先に定義し、その基準に照らして現在地を公開することを選んでいます。
以下の現在地は、いずれも提唱者側の内部評価によるものです。外部の研究者による判定は、これから受ける段階にあります。
定義・原理・論証が、体系として矛盾なく成立していることを、理論内部から示します。
内部評価:相当程度到達哲学・現象学・認知科学など既存学問と正面から比較し、何が同じで何が新しいのかを示します。
一部着手外部の研究者による査読・批判・実証研究を経て、独立した理論体系として検討されます。
これから研究体系を公開し、批判と検証に開く。
Nescience学は現在、基本理論から、人間・認識・教育・技術・社会・文明へ展開する研究を、8つの論文を中心に体系化しています。
すでに整理された理論、研究仮説、第三者検証が必要な領域、今後の研究課題を区別し、研究の現在地そのものを社会に開いていきます。
研究内容を一般向けにまとめた小冊子も刊行しています。
ひとりの提唱から、世界にひらかれた学問へ。
理論の内部では、どこまで検証しても「提唱者が自分の理論を確かめた」という事実しか残りません。9条件のうち第三者性にかかわる項目は、原理的に外部の手でしか満たせません。第三者研究は、Nescience学に足りないものを補う作業ではなく、学問として成立するための構成要素そのものです。
論証が文章として追えるかどうかは、外部の読者が読んでみるまで確かめようがありません。
どこが崩れれば主張が修正されるのか。反論を立てる役は、同意しない立場からしか務まりません。
同じ手順を踏んだ別の人が同じ構造を確認できてはじめて、特殊な体験ではないと言えます。
Nescience学の完全学問化を、外から検証する人を求めています。
Nescience学は、AI時代の危機を大反転させる可能性を、研究と社会実践の両面から検証していく学問です。探究を、提唱者や内部の研究者だけで進めるのではなく、さまざまな立場の学者・研究者とともに進めたいと考えています。
求めているのは、賛同者だけではありません。
行動したい人は、行動から。
学問をさらに完成させたい人は、研究から。
批判したい人は、批判と検証から。
賛同は、研究参加の条件ではありません。
プロジェクトの様子や研究員のインタビュー
Nescience学を学ぶ前と学んだ後の変化や、実際に感じていることをお話しいただきました。
伊原慎二さん 飲食店経営者
仲宗根文音さん 看護婦
大場龍夫さん 会社経営者
6歳の問いから始まった、半世紀を超える探究。
Nescience学の出発点は、壮大な理論ではありませんでした。Noh Jesuが6歳のときに抱いた、一つの素朴な問いでした。
ある真夜中、母と山道を歩いていたとき、暗闇を照らす光を見ながら、彼は問いを抱きます。
この光は、どこから生まれるのだろう。
どのように走り、最後はどこへ消えていくのだろう。
その問いは、やがて太陽へと広がっていきました。太陽の内では、何が、なぜ、どのように動いているから、あれほどの光が生まれるのか。
光への問いは、内と外は、なぜ、どのように生まれるのかという問いへと変わり、宇宙、生命、人間、心、認識へと広がっていきます。そして、さらに、
「今ここ、目の前の現実とは何なのか?」
「目の前の現実は、内を観ているのか、外を観ているのか?」
という問いへと深まっていきました。
その探究は、長年の研究開発を通して認識技術nTechとして体系化され、さらに理論的な検討を重ねながら、現在のNescience学へと展開してきました。
一人の少年が抱いた問いは、やがて「存在が動くのか、それとも動きが存在を成立させるのか」を問い直す学問へと発展し、さらに、「存在が動く」言語を底上げする、「動きが存在を成立させる」言語――心・エネルギー・物質の関係をつなぐ言語――の発明にまで到達しています。
この到達を含めて、Nescience学の探究は続いています。
ひとつの理論から、世界にひらかれた学問へ。
Nescience学を、日本から世界へ。
個人の認識変化を、関係・教育・共同体・社会・文明へとつないでいく。第三者検証を積み重ねる先に、国籍・宗教・思想を越えて共有できる世界基軸教育の学問的基盤の構築がある。